2017年 09月 17日
「感覚を書き換え」ていく
最近になって気がついたことがあります。
ある程度まで上達した人が、そこから進めなくなってしまうことってあります。
あの人は、強いんだけど・・・ここ何年も足踏みが続いているなぁ、みたいな。
強くなる過程で、色々なことを「経験」します。
着手を決めるときに、ある程度「感覚」で判断できるのは、
過去の膨大な「経験」の積み重ねからくる「感覚」なのだと思います。
そして、一度身についてしまった「感覚」は、それに慣れてしまうと「感覚の書き換え」が出来にくくなる・・・
のではないか?
アマ初段くらいの棋力なら、一定の「感覚」を身につけても、まだそれには不備が色々とありますから、
次から次に新しいものが入ってきて「感覚の書き換え」ができるでしょう。
しかし、アマ高段くらいの「ある程度の上限」にまで行きつくと、
その時点で身についているものは「かなり高度な、経験からくる感覚」と言えるでしょう。
すると、それを疑わずに、ずっと使い続けてしまう・・・ことができてしまいます。
判断の基準を疑わないことには、
そしてそれをより正確なものに「書き換え」て行かなくては、
上達しないのではないか。
自分の経験を振り返ってみても、プロになって初段から三、四段くらいになる間の数年の間は、自分の対局を先生に見てもらっていました。
そして、色々と指摘してもらいます。ひどいときには随分と怒られたものですが「自分の中からは生まれない発想」や「正しい考え方」を数多く教えてもらいました。
対局中の自分は、自分の考えを正しいと思って着手を選んでいます(当たり前のことですね)。
しかし、それを先生に見てもらうと、自分の考えなんかどこかに飛ばされてしまい、全く思いもしなかったことを告げられます。
これは結構苦しいものでもありました。
ただ、先生の指摘を受け止めてみると、そちらの方が正しいと思える訳で、正しいことを知ったという喜びも生まれます。
先生の指摘を受けても、納得がいかない・・・という場合には、どうなるのでしょう。
幸いにも、納得がいかなかったことは少なかったですが、何度かありました。
それは頭の片隅にキープされていて、また後日(数日後や数週間後)に見返されることとなります。
先生の指摘より自分の方が正しいと思った事柄は、何年や何十年もの間キープされ続けたりします。
やっぱり自分の方が正しいはずだ、と多少恨みを込めながら・・・。
なんだか話がそれました。まだ本題に入っていないのに。
「感覚」が行き詰まってしまったときの打開策を話したかったのですが、続きはまた。