2015年 12月 14日
勉強方法を考えてみましょう
「この局面でどう打ったら良いですか?」
囲碁の上達において、誰かに指導を仰ぐときに出てくる、ごく有りふれた問いかけです。
しかし、この問いかけをし、回答を求めることを繰り返しているだけでは、
自分の「囲碁感」に変化がおこるでしょうか。
算数の問題に例えてみましょう。
「この問題が分かりません。答えを教えて下さい」
「答えは◯◯です」
「よし、分かった!」
答えが分かった、というだけで、自分で解くことができるようになった訳ではないですね。
それと同じことです。
次に、棋譜並べについて考えてみましょう。
トップ棋士の打ち碁を並べて、勉強したとします。
もし
「並べただけ」
だとしたら、上達にどれだけプラスになっているでしょうか。
スポーツに例えてみましょう。
サッカー少年がメッシの出ている試合を観て、
「あのドリブルをマネするんだ!」
と思ったとします。
棋譜を並べただけ、サッカーの試合を観ただけ、
どちらも
「観た」
というただそれだけでは、本人の身体や囲碁感が変わる訳ではないのです。
もちろん、トッププレイヤーの動きや石運びを観て感動することは、
絶対に何かを得ていることでしょう。
でも、繰り返し観ているより、
自分の身体や囲碁感を動かさないといけません。
それこそが、上達への道だと考えて良いと思います。
囲碁の上達において、誰かに指導を仰ぐときに出てくる、ごく有りふれた問いかけです。
しかし、この問いかけをし、回答を求めることを繰り返しているだけでは、
自分の「囲碁感」に変化がおこるでしょうか。
算数の問題に例えてみましょう。
「この問題が分かりません。答えを教えて下さい」
「答えは◯◯です」
「よし、分かった!」
答えが分かった、というだけで、自分で解くことができるようになった訳ではないですね。
それと同じことです。
次に、棋譜並べについて考えてみましょう。
トップ棋士の打ち碁を並べて、勉強したとします。
もし
「並べただけ」
だとしたら、上達にどれだけプラスになっているでしょうか。
スポーツに例えてみましょう。
サッカー少年がメッシの出ている試合を観て、
「あのドリブルをマネするんだ!」
と思ったとします。
棋譜を並べただけ、サッカーの試合を観ただけ、
どちらも
「観た」
というただそれだけでは、本人の身体や囲碁感が変わる訳ではないのです。
もちろん、トッププレイヤーの動きや石運びを観て感動することは、
絶対に何かを得ていることでしょう。
でも、繰り返し観ているより、
自分の身体や囲碁感を動かさないといけません。
それこそが、上達への道だと考えて良いと思います。
by GOTU-3
| 2015-12-14 14:03
| 勉強方法